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戦地での父の足跡

戦地での父の足跡

昭和17年3月に名古屋市立那古実業学校商業科を卒業後、同年4月に三菱航空機製作所 名古屋大江工場に勤務した父は18年6月に「浜松三方原飛行大隊」に航空兵として入営しました。

その後転属して、中国(当時の満州)へ航路・陸路で渡ります。嫩江(ノンジャン)で隼百十二部隊中島隊補給中隊に編入されていますが、ここには訓練所(下にリンクがあります。詳しくはそこから・・・)があり、一定の訓練を受けたと思われます。

新京~敦化(トンカ)~天津~漢口と中国大陸を南下。驚いたことに8月15日ではなく、昭和20年8月28日に新陽にて終戦命令を聞いています。考えてみれば当たり前かもしれませんが、終戦の声を聞くまでの13日間も戦争をしていたということになります。

その後「開封捕虜収容所」で約5ヶ月間を過ごし復員。18年6月~21年4月まで、その期間は述べ2年8ヶ月となります。

父が死の直前、戦地で死んでいった友人のことを思い出して「本当に悲しかった悔しかった」と病の床で心中を語っていたことを思い出します。死の一週間ほど前のことです。

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①浜松
②博多
③釜山
④嫩江(ノンジャン)嫩江大訓練所について
⑤新京
⑥敦化(トンカ)
⑦天津
⑧漢口(現武漢市の一部)
⑨新陽(場所不明)
⑩開封捕虜収容所(洛陽)について
⑪上海
⑫山口県仙崎

旧陸軍軍人、軍属等加算恩給申立書

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